開業に至った経緯(1)


開業までの道のり
いつも全力。2足の草鞋で、前だけを見て走ってきた20代
 思い返せば転機は28歳の時だったと思います。当時、私は地元の民間企業で働き、身の丈以上の仕事も含め多くのチャンスをいただきながら、充実した日々を送っていました。プライベートでは、社会貢献が好きな母の影響から、20代後半には2つのNPO法人の立ち上げに携わり、理事としての活動もしていました。2足の草鞋を履きながら迎えた20代後半は、今の会社でキャリアアップをするか、社会起業家として地域で活動するか悩んでいました。



労働組合専従への転機
 当時から元気だけは人一倍あった私は、同世代の中でも目立っていたと思います。会社の役職だけでなく、安全衛生委員や職場委員、執行委員など労働組合の役割も担うようになっていました。当時、そこで役員をしていた方に、今後のキャリアについて悩んでいると相談したところ、思わぬ提案があったのです。それは、労働組合の専従職員として働くというものでした。
 実は、私の所属するNPO法人の一つは、母が代表を務めるメンタルヘルス分野の事業所だったので、組合の仕事と共通点が多かったのです。そのため、労働組合の仕事を通し組織の仕組みを学ぶことが、キャリア選択肢を広げ、その後の礎になるのではと言われ、チャンスをつかむことにしました。当然、未知の分野に飛び込む不安もありましたが、好奇心旺盛で、考えるより先に行動するタイプであり、なおかつ未婚で守るもののない身軽さが決断できた要因だと思います。


嵐の中に飛び込んだ1年目
 私が労働組合の専従として働き始めた頃は、会社統合直後で、職場の誰もが不安になっていた時期でした。今後自分たちが働く会社がどうなっていくかも不透明な上、昨日までライバル企業のスタッフが同僚になって一緒 に働くのですから無理もありません。出身企業のラベリング、会社や周囲への不平不満、モチベーションの低下など、一辺倒では計れない問題が山積みの中、私の専従としての最初の仕事は、会社統合の目的や今後の会社の方向性について組合員に伝えてまわることでした。
 皆の人生を左右するような大きなテーマを、さっきまで横並びで働き、年齢もキャリアもまだまだな若造が伝えていいものかとも正直迷いもありました。しかし、いただいた役割を全うしているのだと理解し、意を決して 各事業所を回りました。説明会には多く方の参加があり、関心の高さが伺えました。会社・労働組合への不満の声もたくさんいただきました。愛社精神の表れだと理解し、ありがたく受け止めました。悲しかったことは、会 社に期待することをやめ、何も言わず退職する人や、新しいやり方に適応できずメンタルで休む方を目の当たりにした時でした。何かしなければと危機感を思えたのもその時です。
 当時の組合専従者は私を含め5名。当然、私が一番下っ端で未熟さもピカ一でしたが、どんなアイディアでも組織に必要と思えば承認し、具現化に協力してくださる人たちでした。何より、みんな自分たちの組織を愛し、 これからもみんなの力を合わせて組織を守っていこうと意欲的なメンバーでした。苦しい現実と向き合いながら、「私たちに一体何ができるのか」、「会社から離れたみんなの気持ちをまた一つにまとめるにはどうしたらいいのか」など、毎日真剣に考えていました。


どんなアイディアも、数打てば当たる作戦、決行!
 今思えば、会社だからとか組合だからとかいう垣根を越えて、いろんなことをよくここまでやってきたなと思います。やっぱり、「この会社に入ってよかった」と胸をはってみんなに言ってもらいたかったんです。そのために良いと思われることは、とにかく手当たり次第にやりました。
 若手社員の離職を防ぎたい一心で行った試みは、35歳までの男女で行う若手交流会の開催でした。企画から若手社員に入ってもらい、周知・当日の運営までを担ってもらいました。配属先や雇用形態の違いから、顔の見える同期がおらず、悩みを一人で抱え込んでいた若手社員に対し、横のつながりを作るきっかけになればとの思いからでした。
 健康増進に興味を持ってもらうために立ち上げたのがマラソンサークルです。マラソン経験があった若手の 組合員にコーチをお願いし、定期的に練習会を実施しました。少しずつ実力をつけていき、1 年後には皆でマラソン大会にも出場しました。共通の趣味を通じて世代間や部門を超えた交流の場にもなりました。


労使の垣根を超える取り組み
 また、働きやすい職場環境にするために安全衛生委員会として労使協働で行ったこともたくさんあります。ここでは、その中の代表的なものをいくつかご紹介します。

1. 労災撲滅キャンペーン
 産業保健スタッフとすべての事業所を巡回し、そこで勤務するスタッフに現状についての課題等をヒアリングして行きました。改善に向けた案をまとめたら、関係各所への調整までを巡回したメンバーで担うという一歩踏み込んだものでした。その他、産業保健スタッフが常駐していない事業所に関しては、月に1度の産業医・保健師による健康相談会も実施しました。それにより労災事故件数の軽減にも役立てることができました。

2. 風土改革で時間管理の意識向上
 人事課と労働組合で、出社時に従業員出入口で「おはようございます!本日はノー残業デーです」と声かけをしながら、ノー残業デーの周知をした上で、21時頃に職場を巡回し、残業しているスタッフを見かけたら早く帰るようにと声をかけていき、時間管理の意識を高める工夫をしていきました。

3. メンタル対策の強化
 会社統合等のストレスでメンタル不調者が増加した他、メンタルヘルス不調で1か月程度の休みを取得しているスタッフの存在を産業保健スタッフが知らず、長期休職になって初めて発覚し、対応が遅れるというケースも発生していました。そのため不調の予防や、不調者の早期発見につなげるために、ストレスチェックを義務化される前から導入した他、身体的な健康問題に関するルールをメンタルに読み替えて運用していたものを、メンタル専用のルールを作り、体制構築もしていきました。

4. 業務改善に組合が参画
 ストレスチェックを導入して見えてきたことの一つに高ストレス者が多い所属の存在でした。当然、病気休暇 や休職の発生率も高く、喫緊の課題と言えました。そのため、まずは現状把握のために現場スタッフへのヒアリングを実施し、課題の洗い出しから行いました。そこで見えてきたのは、関係各所から求められる書類の量の多さでした。日中は現場を回すことに時間を割くため、書類作成は営業時間後が多く長時間労働につながっ ていました。また、残業してまで作成した書類のその後の行方を追っていくと、上長の手に渡る書類には1割程度の情報に削られており、現場の負担に見合わないと思う現状でした。そのことを会社側に伝えたことで、書類の内容がが精査され、非常にコンパクトなものになりました。


 労働組合としてという考え以上に大事にしたのが、みんなが生き生きと働く職場を作るということです。だからこそ、会社側に要求するばかりでなく、自分たち労働組合も積極的に働きかようと行動した結果、短期間の中で 多くの成果を得ることができたのだと思います。私が何より強い思いで実現させたことが、次に紹介する企画です。


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