開業に至った経緯(目次) 


開業までの道のり
いつも全力。2足の草鞋で、前だけを見て走ってきた20代
 思い返せば転機は28歳の時だったと思います。当時、私は地元の民間企業で働き、身の丈以上の仕事も含め多くのチャンスをいただきながら、充実した日々を送っていました。プライベートでは、社会貢献が好きな母の影響から20代後半には2つのNPO法人の立ち上げに携わり、理事として活動もしていました……続きを読む

労働組合専従への転機
 当時から元気だけは人一倍あった私は、同世代の中でも目立っていたと思います。会社の役職だけでなく、安全衛生委員や職場委員、執行委員など労働組合の役割も担うようになっていました。当時、そこで役員をしていた方に、今後のキャリアについて悩んでいると相談したところ、思わぬ提案があったのです……続きを読む

嵐の中に飛び込んだ1年目
 私が労働組合の専従として働き始めた頃は、会社統合直後で、職場の誰もが不安になっていた時期でした。今後自分たちが働く会社がどうなっていくかも不透明な上、昨日までライバル企業のスタッフが同僚になって一緒に働くのですから無理もありません……続きを読む

どんなアイディアも、数打てば当たる作戦、決行!
 今思えば、会社だからとか組合だからとかいう垣根を越えて、いろんなことをよくここまでやってきたなと思います。やっぱり「この会社に入ってよかった」と胸をはってみんなに言ってもらいたかったんです。そのために良いと思われることは、とにかく手当たり次第にやりました……続きを読む

労使の垣根を超える取り組み
 また、働きやすい職場環境にするために安全衛生委員会として労使協働で行ったこともたくさんあります。代表的なものをいくつかご紹介します……続きを読む

サラリーマン人生の集大成!どんたくへの出場
 福岡のビックイベントといえば博多どんたく港祭り。ゴールデンウイークに開催されるこのお祭りには、毎年全国から多くの観光客もみえられます。入社当初から先輩の思い出話の一つとしてよく出ていたのが、どんたく出場時のエピソードでした……続きを読む

光と影
 私がどんたくに出場していた時、同居の父はうつ病で自宅療養中でした。父は柔道6段の腕前で、大学も就職も柔道の推薦で入った筋金入りのスポーツマン。気が短く、怒ると鬼のように恐い形相で大声で怒鳴るカミナリ親父。そんな父がうつ病になったのですから、古くからの友人は皆、「まさか、お前が?」と驚くほど。そして、その驚きは私も例外ではありませんでした……続きを読む

重なる変化と適応障害
 50代半ばになると、父は念願だった昇格を果たし、転勤と単身赴任も同時に始まりました。昇進のプレッシャーと、未経験な業務への対応等、父の負担は大きかったと思います。母もそんな父を心配し、週末には必ず単身赴任先を訪れサポートをしていました。そんな生活が半年ほどたった頃、父はインフルエンザにかかり自宅で1週間ほど療養していました。熱も引き、明日から職場に出勤すると言った日に、母は父を車に乗せ、単身赴任先まで送り届けることにしました……続きを読む

鬱は移るってホントだった
 5父が自宅療養している時がちょうど私が労働組合の仕事に従事し、どんたく出場のために奔走している時でした。精いっぱい仕事して疲れて帰って来ると、今度は父が待っていたかのように自分の話を聞いてほしいと言って来ていました……続きを読む

病いで人間関係も失う?
 ガンで離婚すると言う話はあまり聞きませんが、精神疾患はそれがあり得る病です。
 うつ病を筆頭に、双極性障害、ギャンブル・アルコール依存症など、精神疾患によって仕事やお金、家庭、人間関係など失う人が多くいます……続きを読む

職業リハビリ開始
 父の回復過程を語る上で欠かせないのが母の存在です。母は看護師でありながら、ハローワークや障害者職業センター勤務を経て、EAPの事業に携わり、企業内の産業保健スタッフと連携し、その会社で働くメンタル不調者の復職支援をやってきた職業リハビリの専門家です……続きを読む

新たな決意
 私は、労働組合の専従とうつ病患者の家族になったことで、改めて予防の大事さや、メンタル不調の再発予防のための 職業リハビリの重要性を実感し、その上でそのような支援ができる資源の少なさを強く感じました。父へのサポートを間 近で見たことで、母の仕事の内容を初めて理解でき、私も社会資源を充実させるために一役買いたいと思うようになりました……続きを読む

いばらの道
 母のNPO法人に入ってからは、試行錯誤の日々。事業収入が年間400万程度の事業所でしたので、まずは売り上げを伸ばすことも考えないといけませんでした。また、知識と経験不足を補うため専門学校に入り、資格取得のための勉強も必須ですから、多忙を極めました……続きを読む

会社設立
 場数を踏み、少しずつ知識と経験を積み重ねた3年目。私は株式会社KAIKAを立ち上げました。カイカと読むこの会社は、「希望の花が咲くように」との願いを込め、NPO法人に携わるメンバーで出資して設立しました。NPO法人をやっていて見えてきた課題の一つが、中小零細企業に勤めるメンタル不調者への対応についてです……続きを読む

費用負担を軽減したい
 中小零細企業に勤める人を支える仕組みを考えていた時に思い出したのが、復職支援を障害福祉サービスでやっている事業所のことでした。知人の友人が経営していたため、開設して間もない時に見学に行かせてもらっていたのです。東京にあるその事業所は、開設当初は利用者が少ないという話でしたが、すぐに数は増えていき現在は数店舗に拡大しています……続きを読む

キャリア・アカデミー鳥栖を開業
 私たちの事業所は職場復帰や社会復帰のためのトレーニング施設です。
 復帰後を想定し、それに似た環境に身を置き、段階的に負荷をかけることでギャップを縮め、再発を予防します。なお、健康回復には、食事・運動・睡眠など生活習慣を見直す必要がありますし、職場復帰するためには仕事の遂行力も必要になります……続きを読む

病気との両立
 病気を持ちながら仕事をしている人向けの就労継続サポートもしています。週に1度くらいの頻度で仕事帰りに立ち寄っていただき、1時間程度のカウンセリングをしています……続きを読む

引きこもりを脱却し、希望のある未来へ
 現在、キャリア・アカデミー鳥栖では、何かのきっかけで引きこもり状態が続き、社会に出てくる機会を失ってしまった方へのサポートも行っています……続きを読む


最後に
 父の健康を回復させたのは、いろんな人からの心温まるサポートでした。「人が薬だ」と父もよく言っているように、 私自身も皆さんの回復していく姿を見ながら日々、実感しています。
 どうか一人で抱え込まず、悩みや困りごとがあれば打ち明けに来てください。あなたの本来の姿に戻り、独り立ちでき るようになるまで、私たちスタッフが全力でサポートしますので。

 あなたの希望の花が咲きますように。
株式会社 KAIKA 代表取締役 田中康子

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